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伝統こけし 高橋正吾 鳴子 鳴子系 木製こけし 昭和レトロ
¥1,199
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商品の説明
祖父が大切に保管しておりました。 鳴子の名工、高橋正吾工人の美しい作品です❁⃘*.゜ 繊細で綺麗な菖蒲の花が描かれた珍しいデザインになっています。 暗所で保管していたため、色あせはありませんが頭部に染みがあります。 全体を見ると綺麗な状態だと思います。 昭和4年12月20日、宮城県玉造郡鳴子湯元のこけし工人高橋武蔵・きよのの5男に生まれる。高橋武男は長兄。昭和22年3月、宮城県小牛田農林学校(林科)を卒業、勤めに出て頭をぐぐーっと抑え込まれるような生活は性には合わないと思ったので、家業を継ぐことにしたという。4月より父武蔵について木地の修業を開始した。こけしは昭和23年より製作しているが、修業開始当時の主な製品は、馬の尻がい玉、追い縄通し、仏器、神器、煙草入れなどであった。ちょうど正吾が木地を挽くようになったころに高亀は電動の一人挽き轆轤が据えられたという。高橋力蔵、伊東東雄は兄弟弟子にあたる。 唱和25年頃からこけしを多く作るようになったが、当初は筆を持つのが苦手で、それを克服するために毎日1~2時間毛筆で字を書く練習をした。こけしの胴模様は簡単な牡丹から練習を始めた。 昭和29年に神戸三越で開催された「趣味のこけし展」では高橋盛と共に実演をおこなった。このこけし展の報告は〈こけし友の會だより・8・9〉(昭和29年5月〉に掲載され、実演工人正吾の名前も紹介された。こけし写真とともに紹介されたのは美術出版社の〈こけし〉(昭和31年7月刊)が最初である。 昭和40年代の第二次こけしブームの時期には、桜井昭二、岡崎斉司、遊佐福寿、大沼秀雄とともに鳴子の若手五人組と称されるようになり、鳴子こけし界を牽引する存在になった。 その後、上野々スキー場近くの鳴子町古戸前に家を構えて、しばらくそこから実家の高亀に通って仕事をしていたが、昭和54年より工房を整えて高亀から独立した。高亀の高橋武俊には実質的な木地の指導を行った。 正吾は92歳の令和2年2月までこけしを製作した。 令和2年6月20日没、行年数え年92歳。 戦前の高亀のこと、鳴子の工人のこと、ロクロや工具・染料の変遷についてなど、広汎な知識があり、記憶もしっかりしていて貴重な話を聞かせてもらえる工人だった。 伝統こけし 木製こけし 高橋正吾 高橋武蔵 高橋宣直 鳴子系 鳴子こけし 伝統工芸品 伝統工芸 #kuytこけし
20日前
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